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電話の進歩とまちの発展には密接な関わりがあった 携帯電話がなかった頃の電話とは?   | えべつのじかんコラム

(昭和29年頃の江別駅前)

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電話の進歩とまちの発展には密接な関わりがあった 携帯電話がなかった頃の電話とは? 

携帯電話がなかった頃

以前のコラム「気になる数字_江別市内の市外局番と郵便番号(2021.12.01)」で、江別の市外局番は札幌市と同じ「011」とご紹介しました。

 今や、スマートフォンをはじめとした携帯電話は1人1台の時代。私の家には固定電話なんてないよ、という方も増えているようです。

 でも今から50年ほど前、携帯電話どころか、個人のお宅にはまだ、電話があまり普及していませんでした。

 「えべつ昭和史」(平成7年3月31日江別市発行)に、昭和40年頃、江別に固定電話が普及し出した頃のお話しが載っています。

 さらにその前、おじいさん、おばあさんが子どもだった頃にさかのぼってみましょう。

昭和20年代にタイムスリップ

昭和24年6月、江別電報電話局が開設されました。

 この頃の電話は、電話を掛けたい人がまず電話局にいる電話交換手と話し、呼び出したい相手先を伝えて、交換手が電話交換台に電話プラグを差し込むことで回線がつながり、通話ができるという仕組みでした。(もちろん、今では機械が自動でやってくれます。)

 昭和28年10月、江別電報電話局の新局舎が4条5丁目に完成しましたが、まだ江別全域の電話交換に対応できるだけの能力は備えていなかったようです。

(昭和28年当時の江別電報電話局。日本電信電話公社(電電公社)マークが見えています)

 それまで、郵便局が行っていた電話交換の業務が徐々に江別電報電話局に移され、昭和37年12月、新しい電報電話局舎が一番町に完成したときに、江別と札幌との間はダイヤル即時通話が可能になりました。

(昭和37年12月に完成した江別電報電話局の局舎)

(昭和39年当時の江別電報電話局)

 昭和40年代前半、江別では大麻地区の団地を中心に急激に世帯数が増加していて、電話を自宅に引きたい人が多くいました。そのため、当時の日本電信電話公社(電電公社(でんでんこうしゃ))は、電話回線の増設工事を行ったり、大麻に電話交換局を開設するなどして対応しました。

 昭和60年4月、日本電信電話株式会社(NTT)が設立され、それまでの日本電信電話公社が廃止されたのと同時に、江別市の市外局番はそれまでの「01138番」から、おなじみの「011番」に変更されて今に至っています。

電話の進歩と江別の発展

40代以上の方なら、電話の会社といえば電電公社、ダイヤルの穴に人差し指を入れ、時計回りに回して電話番号を入力する方式の黒電話が家にあったことを覚えていらっしゃるかもしれません。

 昭和60年4月より前、江別市の電話番号は「01138-×-××××」だったので、市内に電話を掛けるときは後ろ「×-××××」の5回分ダイヤルするだけで済みました。(いまだと7回必要ですね)

 また札幌市もかつては「011番」ではなかったようです。江別市と札幌市が同じ「011番」だと言えるようになったのは、昭和60年4月からのことです。

 電話の進歩と江別の発展には、密接な関わりがあったのです。

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