江別が“れんがのまち”と呼ばれる理由※初級編
札幌近郊で引越し先を考えている皆様、当サイト「えべつのじかん」にアクセスいただきましてありがとうございます。
おそらく「江別市ってどんなまちなんだろう?」とネット検索するうちに、ここにたどり着いたのではないかと推察いたします。
さて、「江別市」を調べていくと、必ず登場するのが「れんが」というキーワードです。
「江別市って“れんがのまち”というけど、どこの何が“れんがのまち”なの?」と思っている方はいらっしゃいませんか?
「れんが」生産の歴史~現在も操業中
その昔、江別(野幌地区)は、「れんが」の一大生産地でした。最盛期の昭和30年代には15社もの工場が操業していたのです。当時、江別の「れんが」は「野幌れんが」の名で全国に知られていたそうです。
やがて、北海道の開拓期から戦前戦後を支えた「れんが」も、鉄筋コンクリートの台頭とともに建材としての役割を終えました。
それでも、江別市内には今も3つの工場(※2020年11月時点)が操業しています。外壁材やガーデニング用など様々な新しい需要に対応し、全国シェアの約20%(※2020年11月時点)を誇っているのです。
「れんが」を供給し続けた江別
明治中期以降、生産地として主に都市部へ「れんが」を供給していた江別ですが、市内には道庁赤れんがや、サッポロビール園のような巨大れんが建築物は存在しません。
また、れんが産業とともに、酪農が盛んだった江別市内には、赤れんがのサイロがたくさんありましたが、活用方法が限られるため都市化とともに姿を消していきました。
あれほどたくさんの「れんが」を供給しつづけていたのに・・・なんてさびしいことなのでしょう。
れんが文化に対する愛着
このような中にあっても、江別市民の「れんが」に対する愛着は、公共施設、商業施設、バス待合所、公園、モニュメントなど様々な場面で表現されています。
昭和50年代から平成のはじめにかけて行われた「ランドマーク」をつくる取り組みでは、れんが造りのバス待合所などが次々と誕生し、平成6年には、れんがと陶芸をテーマにしたミュージアム「江別市セラミックアートセンター」がオープン、平成28年には、古いれんが倉庫をリノベーションして商業施設「EBRI(エブリ)」が開業しています。
ゆるキャラやVチューバ―、菓子やお土産品など、様々な場面・商品で「れんが」がモチーフとなっていたり、毎年夏に開催される「えべつやきもの市」では、れんがドミノが名物イベントとなっているなど、まるで、江別市民のDNAには「れんが」が組み込まれているかのようです。
最後に、今回の記事での解説を要約してみましょう。
「江別市は、今も昔も全国屈指の『れんが』生産地。市内には、道庁赤れんが庁舎のような大きな建物は無いけれど、生活の身近なところに、たくさんの『れんが』があるんです。」
誰かに説明を求められた際には、こう答えておけば、間違いなさそうです。
※市民と産学官が一体となった、れんがをテーマにしたまちづくりが、建造物保存の取り組みとともに評価され、平成16年、「江別のれんが」は北海道遺産に選ばれています。